(1)文献研究として、人口学関係図書・論文によって日本社会の入口学的動向、西洋的近代化にともなう人口の変化についての諸説、開発途上国における人口動向を研究した。それによって、戦後日本の急激な人口転換がもつ特徴を考察した。 (2)(1)の人口転換が生じるには、人々の少子化志向とともに、政策を末端部分で実現するエイジェントが不可欠である。(1)において日本の特徴の一つは多数のエイジェントの存在だと考えられたので、その例として、民間団体(家族計画協会)・企業・国鉄・自治体(身近な大阪市)および専門職集団(助産婦)の動きを調べてみた。国鉄は、問い合わせの結果、解体によってその資料がほとんど全く失われたことが判明し、研究が難航した。ただ、受胎調節実地指導員の方々幾名かにインタビューできたので、その成果を調査報告書にまとめる予定である。家族計画協会は、新聞『家族計画』を主に参考にした。企業は、財団法人人口問題研究会および様々な労働管理関係資料である。自治体および専門職集団については、幾つかの資料が入手できているが、完成した研究として報告するにはまだ至っていないと判断する。 調査を補完するために、大空社から刊行されつつある産児制限関係の復刻資料集を参照した。研究対象が、資料が散逸しているうえにかなり日本社会広汎であるため、本研究はまだ継続して多くを調査する必要があると考える。 (3)なお、(1)(2)の調査を行いつつ、実際に女性たちがどのような変化を体験したのかを詳しく知りたいと考え、14人の戦前に思春期を迎えていた女性たちにインタビュー調査を行った。そして、婚姻や性知識などについて、その方々の人生全般における出来事とともに聞き取りした。戦前の産児制限に関する人々の態度と戦後のそれとの相違を、かなり具体的に把握できたと考える。
|