本研究は、概ね四つの柱立てで行われた。その概要は以下のとおりである。 (1)関東大震災以後の国民統合策と教育 関東大震災直後の危機的条項を背景に発布された「国民精神作興ニ関スル詔書」(1923年)とその後の国民統合理念の変容過程と教育との関係について論及した。本研究により、関東大震災後の教育については、教育施設や教育方法が科学的成果に基づく近代性が追及されたのに対し、教育内容については、修身、国語、日本歴史を中心に統制が加わっていくことを実証的に明らかにした。 (2)国体明徴運動と教育政策 天皇機関説事件を契機に、全国的に展開された、国体明徴運動とその後の教育政策の動向について論及した。本研究では、国体明徴運動における軍部の教育への要求により、大学で天皇機関説が排除される過程、さらに、教学刷新評議会答申・建議以後の「教学刷新」策における、一連の教育政策、すなわち、『国体の本義』の編纂と頒布、教学局の設置と活動、文教審議会の構想と挫折などについて論及した。 (3)国民精神総動員運動と教育 国民精神総動員は、日中戦争の泥沼化の状況の下に展開された官制の国民運動である。それまでの官制国民運動とは異なり、それまでの国民動員の思想とは異なった次元のものであった。本研究では、国民精神総動員が教育政策・教育実践にどのような影響をもたらしたのかについて、主として集団勤労作業の全国実施との関連で論及した。 (4)1930年代の御真影「奉護」変容過程 これについては、各府県庁文書、国立公文書館所蔵文書などにより、基本資料の収集にあたった。研究成果報告書には、論文として発表はしていないが、来年度中には、著書として刊行の予定である。
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