新古典派経済学をイデオロギー的な背景とし、「市場原理導入」を旗印とするアングロ・サクソン系諸国での学校の自主性・自律性の改革では、完全に合理的で利己主義的な「個人」がすべての議論の前提とされ、そのような「個人」が自由に競争する「市場」こそが、最も妥当でかつ合理的な結果をもたらすものだと措定されている。そこでは社会的公正を目標とする政府の介入や、集団的利益を求める労働者や大衆の運動は、すべて市場の効率性を損なうものとして斥けられている。英国等での公立学校改革ではこうした傾向は顕著である。 こうした考えに足して戦後(西)ドイツ社会と国家が、実現させてきた「社会的市場経済」は、国家と資本が限りなく癒着した経済体制であったことはいうまでもないが、その一方で社会的連帯と公正さの確保を目指してきたことは確かである。そこでの「学校の自律性」は、外見的にはアングロ・サクソン系諸国での改革と軌を一にするものでありながらも、その内実は異なっている。例えば、ハンブルク州の学校当局が、「公共(国家)的責任のもとで」という前提条件をつけるのは、各学校への教育的な委任がそれぞれ異なるからであると報告書で述べている。各学校での目の前の子ども達の要求を実現しつつ、公共的な責任を同時に果たすという課題の今日的な帰結がドイツにおける「学校の自律性」改革である。とはいえ、ドイツにおいても財政問題は深刻で個々の学校への財政削減圧力が強まっている。人員を選択するか、その分の人件費を予算として獲得するかといった「人員・予算交換」プログラム等が行われている。 多様化する教育課題への対応から、徐々に公的教育予算削減及びその効率的な運用へと傾斜しつつある。
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