本研究において申請者は伝統的な村落社会における老人の役割や生きがいなど、老いの充実をはかる知恵と工夫に注目してフィールドワークを重ねてきた。とくに注目してみたのが、近畿地方の村落における村隠居と呼ばれる民俗である。村隠居とは、村の男子はすべて60歳を境に村落運営から引退し、たとえば宮座と呼ばれる氏神の祭祀の中心的な担い手となる慣行である。宮座を構成する老人たちの神社への奉仕はそれぞれの個々人に大きな変化をもたらす。厳しい精進潔斎の日々、また大病の体験などを通して、神仏や自然への感謝の思いを深くしていく老人たちの姿をまぢかにたくさん目撃した。そこには年をとったただの老人から聖化した長老へという変化を見出すことができた。 一方、伝統的な村落社会における村隠居による世代交代と役割の変化というしくみが存在しない、たとえば東北地方の農村や京都市内の町場でも、そこで生活している人々にはいつか必ず老いを自覚する時期というものがあり、その問題に関連して本研究では老いの先にある死に直面するという体験を有する戦争体験者からの聞き取り調査を行った。そのなかでとくに注意されたことは以下の二つである。一つは戦死者への思いの多様な表現形態、もう一つはその表現方法を獲得するにいたるまでの個人的な喪失感、についてである。この喪失と獲得が経験される時点とは当事者が残りの寿命を考え始めた時点であり、その多くの場合60歳を過ぎるころであった。残された時間にやり残したことをやらねばならないという自覚が生きがいを与えており、近畿地方の宮座という老いの制度のなかにある老人の生きがいとは別の、個々人の内面的な変化によって自覚される生きがいの存在が確認された。制度のなかに見出される生きがいと個々人の人生のなかに見出される生きがいと、この両者が具体的な事例研究により対比された。
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