本研究の目的は、ユネスコが現在積極的に進める文化遺産保護計画とその背景にある世界遺産条約の概念・思想とが、文化遺産をとりまく地域社会、さらにそれらを包摂する国家としての歴史観やアイデンティティとどのように関係するのかを南米ペルーの考古学的遺産を例に検討することにある。海外調査は計4カ所で実施した。 世界遺産に指定された南高地クスコ県マチュ・ピチュ遺跡のロープーウェイ建設が中止になった件については、一国の文化行政が文化遺産の普遍的価値を唱えるユネスコの思想と軋轢を起こす様子が明らかになった。また南高地アレキーパ地方の調査では、インカ時代に生贄として捧げられた少女のミイラの帰属問題に焦点をあてた。これは、発見地周辺の村落住民が土地管理権をもとに、ミイラの所有権を主張し、貴重な文化財として厳重な管理を主張する国との間で軋轢が生じているからである。そこでは、地域住民の参加が阻害された形で開発計画(国=観光局)、あるいはそれに対する反対運動(考古学、文化財関係者)が推進されてきたことを確認された。 また、インカによる侵略と統一を経験した隣国エクアドルにも考察対象を広げた。北部のオタバロ村、南部のインガピルカ村をとりあげ、歴史の中でインカがどのように扱われるのかについて、聞き取り調査を実施した。とくに後者の場合、インカの侵略に激しく抵抗する一方で、征服者スペイン人に協力的態度を示した民族の末裔であるカニャリが、今ではインカの遺跡を自らのアイデンティティの核と位置づけ、遺跡の管理権を求めて、支配者集団と闘争を行っている状況が明らかになった。こうした歴史観の組み替えは、国家の歴史におけるインカの扱われ方が、時間とともに変化をとげていくこと、さらには、独立後、度重なる国境紛争を展開してきた隣国ペルーと近年、平和協定が結ばれ、歴史教育のなかでも両国の対立感が緩和されてきたこととも関係していると考えられる。
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