研究概要 |
1、小樽市忍路土場遺跡(縄文時代後期)出土の編布は、桁とコモ槌を使用して編んだ布の可能性が高く、新潟県津南町アンギン編布との比較調査では捩り編組織に共通点があり、北海道における桁とコモ編技術が縄文時代から存在した可能性を示唆するとともに、本州から伝わった可能性をも示唆しているものと考えられる。また、アイヌの腰機はタテ糸の一方の端を腰当てを介して織り手の腰で保持する織機であり、日本の古いタイプの腰機と同様に中国起源の東アジア系機織り文化圏における腰機に位置づけられた。しかし、一方でアイヌの腰機に使用する板筬は、シベリア、あるいは北アメリカの少数民族が使用するものと同様であり、北方からの影響と考えられるものであった。 2、青森県八戸市、三沢市、三戸市、岩手県二戸市などいわゆる南部地方には、衣服、ひげ箆、椀類、胸飾り、,耳飾り、矢筒、死体包装用紐などのアイヌ民族資料が数多く残存していたことを確認した。また、文献調査では九戸政実の乱(1591)の際に、九戸側がアイヌを傭兵として雇っていた事実を確認し、当時はもちろんのことそれ以前からこの地方にアイヌが居住していた可能性を示唆する資料と考えられる。
|