鎌倉政権成立後の蝦夷地は、渡島半島に小豪族が進出するなど人の移動と交易が一層活発化し、本州文化の強い影響を受けることとなった。館跡などの発掘調査からは武家社会の蝦夷地進出と抗争、さらにはアイヌとの交易を基盤とし、本州はもちろん、大陸をも含む広範囲の交易状況がうかがわれる。一方、この時期のアイヌ社会は、各地の地域集団が勢力を強め、サハリンで元軍と交戦したと考えられるとともに、館を中心とする和人社会と共存する集団の存在も明らかであり、本州に強く影響を受けた交易社会に大きく転換したいえる。また、近世初期の文献、さらには発掘資料などから、近世アイヌ文化の基礎的生活文化、すなわち信仰、熊送り、うばゆりの食習、住居、運搬方法、さらには雪上歩行具、編み・織り技術、臼・竪杵、容器類、農具などはアイヌ文化期、擦文文化期、あるいはそれ以前に求められることが明らかになった。したがって、近世アイヌ文化は松前藩、あるいは幕府に直轄された状況で形成された要素が強く、それ以前、すなわち擦文文化期、アイヌ文化期の蝦夷地は躍動するアイヌの社会であったとともに、大陸をも含めた交易を基軸として生活文化が変容し、しかもその変容過程はより本州文化に強く影響される時代であったといえる。
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