研究概要 |
本研究の狙いは、室町幕府の重要な宗教政策の一つである安国寺・利生塔政策の具体相について実証的に明らかにすることである。本年は初年度にあたり、関連文献・資料の収集と現地調査を行った。そのため、東京方面に2度(7/18-20,11/14-16,)、奈良方面に2度(10/13-15,12/14-17)、神戸市に1度(11/23・24)の調査旅行を行った。その結果、多くの安国寺・利生塔関係の関連文献・資料の収集と現地調査を行えた。とくに、奈良方面への調査にさいして途中下車して2度行った駿河安国寺・利生塔の調査は、興味ぶかいものであった。というのも、駿河国の場合は、安国寺と利生塔の位置が確定できる数少ないケースだからである。駿河安国寺には承元寺が指定され、同利生塔は清見寺に設置された。清見寺は、東海道の要衝にあった清見関の関寺が発展した寺である。他方の承元寺は、承元という年号を冠する、おそらくは勅願の寺院であった可能性のある寺院で東海道から甲州街道へ少し入った興津川沿いの薩た峠の麓に位置する。両寺ともに交通の要衝に位置し、近接して立地しているのが注目される。また、承元寺の開山は、駿河国守護今川範国の弟大喜法忻であるが、諸国安国寺・利生塔の開山(設定時の中興開山)を分析してゆけば、駿河国承元寺のケースのように、守護関係者、足利氏関係者であったケースが多いと考えられる。さらに、清見寺については、境内絵図など資料を見いだすことができ、次年度までに、それらの分析したいと考えている。
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