研究概要 |
本研究の狙いは、室町幕府の重要な宗教政策の1つである安国寺・利生塔政策の具体相について実証的に明らかにすることである。本年は最終年度にあたり、関連文献・資料の収集と、現地調査を行った。そのため、東京方面に2度(7/25-27、2/7・8)、奈良へ1度(9/29・30)、但馬(兵庫県)・丹波(京都府)の安国寺・利生塔など,(8/19-29)への調査旅行を行った。その結果、多くの安国寺・利生塔関係の関連文献・資料の収集と現地調査を行えた。とくに、2度の東大史料編纂所調査によって、従来全く知られていなかった若狭一宮神宮寺の三重塔が利生塔の1つであったことを明らかにできた事は収穫の1つである。すなわち、「神宮寺文書」の「文和二年十月日付若狭國神宮・寺僧侶申状案」によって、神宮寺の三重塔が利生塔に指定されていることを明らかにできた。これによって、30の利生塔寺院が検出できたことになる。とくに、神宮寺が天台宗・寺門派寺院であり、利生塔が天台宗寺門派寺院にも設定されていたということになる。また、奈良西大寺の「光明真言会過去帳」調査と、但馬金剛寺(但馬利生塔)の調査によって、但馬利生塔に指定された時期(十四世紀初頭)において但馬金剛寺は西大寺末寺の律寺であったことを明らかにできた。また、史料がないとされてきた但馬安国寺の調査により、観音座像を見出し、その胎内銘から、観音像が、永正13(1516)年11月28日に再興されたことを明らかにした。さらに、本研究の成果をまとめた研究報告書を出版した。
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