本年度は、研究課題に関するこれまでの資料収集作業で得られたデータ類の分析を中心に行い、前年度の2本の論考を受けて、論文「戦後の山梨県議会議員の構成と特質」を発表した。なお、7月13日に中京大学(愛知県)において土地制度史学会と経済理論学会の共催で開催された東海部会研究会の席上で、「近代以降の地方名望家の社会的ネットワーク形成」と題する口頭報告を行い、討論を通じて有益な助言を得た。 これまでの分析検討で得られた新知見は以下の通りである。 地方名望家の典型である昭和戦前期までの県会議員は、銀行と電力会社に積極的に参画し、複数の役職の兼任によって銀行企業ネットワークが形成され、これに被さる閨閥の二重、三重のネットワークは全県的な規模で広がっていた。しかし、甲府商工会議所議員による銀行企業ネットワークや閨閥ネットワークは市域に止まり、甲府市の有力商人には郡部地域の名望家層との間に積極的に閨閥を形成しようとする意図はなかった。 戦後の社会的な変動と、政党化の進展で、革新政党や労働組合を基盤とする議員も増加し、女性の登場という時代状況は、地方名望家層が地方議員の輩出基盤であったことを変質させた。1960年代以前の県会議員の職業は、蚕糸業、建設業、製材業、郡内機業に代表されていた。寄生地主制の廃絶で地主層が総退場し、醸造業の地位も低下し、代わって地場産業の経営者層が進出した。しかし、1970年代以降は状況は大きく変わり、建設業のみが議員数を増加させた。そして企業ではなく、業界団体中心のネットワークが形成され、血縁ネットワークは失われた。この意味でいえば、県会議員レベルでは地方名望家体制は崩壊したといえる。しかし、政治に関与せず実業の世界に活動を限定している老舗や企業経営の存在が確認され、政治と経済の分離が進んだ。
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