本研究は、1899年の改正府県制郡制成立の持つ意義を再検討し、1911年の改正市制町村制成立に至るまでの地方制度改正過程を可能な限り復元することを目的とした。実施計画で掲げた課題の内、1.先行研究及び明治地方自治制の解釈書については、国会図書館所蔵明治期刊行図書等からかなり集めた。2.中央の政治家・官僚の文書は、国会図書館憲政資料室から特に地方財政関係のものを相当量集めた。3.県庁文書については、島根・群馬・長野・新潟・福島・秋田各県庁文書の写真撮影を行い、内務行政を検討する多くの素材を得た。4.新聞は、『東京朝日新聞』『東京日日新聞』を中心に地方制度関係の記事を若干収集した。 以上の作業を通して、1.府県制郡制の制定後も、府県知事は自由民権期以来蓄積されてきた県政運営慣行を打破できず、府県会及び府県参事会・常置委員会が法制度を超えた機能と役割を果し続けた、2.内務省は府県知事を中心とする行政権の独自性を確保する狙いから、第一次松方内閣から第二次伊藤内閣にかけて、府県会や府県参事会・常置委員会の統制を意図したものの実現できなかった、3.第二次山県内閣は、府県制郡制改正をテコに、府県会・府県参事会の機能を厳しく法制度の枠内に制限し、慣行の打破を進めようとした、4.1899年の府県制郡制改正を機に、各府県の実務担当者による地方事務取扱協議会が設けられ行政の画一化が図られた、5.法制官僚・民間を問わず、府県制中の参事会は執行機関の一部と理解されていたが、改正府県制郡制に至って、その立法精神が変わり章構成も大きく改正された結果、参事会は補助議決機関と解釈されるようになった、6.第一次桂内閣による行財政整理の一環として大蔵省の地方制度改革案が作成され、1904年に成案を得た、などの諸点を明らかにし得た。
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