本年度は焼畑と大豆に関する近世史料や研究文献を収集することに努めた。北東北の焼畑についてのまとまった史料は見出せなかったが、「山端畑」など断片的な記事はいくつか集めることができ、山野の開発=焼畑が猪害を招く原因になっていることをある程度確認できた。とくに焼畑が多かったのは馬淵川流域であり、今後この地域に注目していく必要のあることが分かった。一方、大豆生産については、仕付け高を書き上げた史料などから畑作の中核を占めていることが知られるが、近世後期・幕末期の史料がほとんどで、近世前期については「盛岡藩雑書』や『八戸藩日記』から検討するほかないようである。こうした藩日記からでも、17世紀後半には大豆が商品化しており・馬淵川がその輸送ルートになっていたことがうかがわれる。焼畑がいつどのように展開するのかはっきりできないにしても、このような大豆商品化と結びついていたことは明らかだろう。焼畑・大豆については近世史料だけでなく、民俗学の成果から学ぶことも重要なので、他地方・他国の事例も含めて、その調査・研究文献をある程度集めた。論文作成に手応えを感じることができた。テーマに関連する論文としては、田畑に被害をもたらす鳥類を追い払う鳥追い労働について、説経浄瑠璃「山椒太夫」に出てくる鳥追いを導入にして、中世から近世にかけてどのような性格の労働として位置づけられてきたのかまとめてみた。すなわち鳥追いの労働は、子供・女性・障害者など社会の周縁に位置する人々がおもに担うものであり、正月の門付け女太夫や子供による鳥追い行事はその反映とみることができる。
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