研究概要 |
漢魏交替期の社会変動を解明する手かがりになる出土史料として,主として後漢時代に建立された石刻と,近年湖南省長沙市で出土した三国・呉時代の簡牘に注目した. 前者については,先ず建立に関与した人士の姓名などを刻した碑陰を各種の金石書から34例ほど選び出し,碑の性格によって徳政碑・祠廟碑・墓碑に分類した上で,建立年代と合わせて建立の中心となった人士の姓氏や肩書などに検討を加えた.その結果,墓碑の建立も,墓主の同族のみによって行われるのではなく,生前に深い関わりをもっていた「門生」や「故吏」などが関与しているという点において徳政碑とも共通点があることや,地方官府に出仕していない人士は,郡や州といった大きな地方単位の徳政碑の建立には参画できなかったことなどが明らかになった(この結果については,「第6回漢魏石刻の会」大会で報告). また後者については,呉簡のなかでも,2000点以上に上る「嘉禾吏民田家別」なる大型木簡を取り上げ,今後の本格的な分析の前提作業として,その性格や機能について把握することにつとめた,この問題については既に,納税者に対する領収書説が定説と化しつつあるが,木簡の大きさという形態面や,記載事項の多さといった様式面などの特徴から,かかる定説化は支持できないと判断した.実際には二つ以上の官府の官員が割符として保有するものであるという理解に達した.またあわせて「丘」なる名称の区画についても諸説を整理し,民戸の本籍地以外の居住地という仮説を提示した(この成果については,「長沙呉簡研究会」例会と「瀬戸内魏晋南北朝史研究会」で報告).
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