研究概要 |
本年度は、主にジャワ北海岸地方中部(東からスマラン、プカロンガン、テガル、チェリボン)における19世紀末〜20世紀初の物流の実態と変化を、在来輸送手段である現地式擬装帆船プラウと1899年2月に全通したスマラン・チェリボン蒸気軌道会社本線との対抗関係の中で検討した。明らかになったのは以下の点である。 1,この時期のこの地域の物流は全体として増加しつつあるが、,蒸気軌道輸送の発展がその原動力だった。2,蒸気軌道とプラウは激しい競争を展開し、全体としては前者が後者のシェアを次第に奪っていった。3,大半の商品については蒸気軌道の輸送シェアが高く年々拡大しているが、特定の品目(瓦、現地市場向け砂糖、石鹸、セメント、肥料、落花生、鉄・鉄製品、塊砂糖)はプラウ輸送が優勢である。4,プラウは低運賃を武器に蒸気軌道輸送に対抗したが、蒸気軌道側では様々な割引運賃設定で対応した。5,スマランからの発送が圧倒的に多く、中間地点相互間の物流は少ない。6,物流の多くは近隣間で行われるが、煙草、米、石油、砂糖黍苗などは北海岸中部の範囲を越えて流通していた。7,物流増加が住民産業に与えた影響として、(a)石油輸送の拡大により、それまで照明用油製造の原料に使われてきたジャラック栽培が顕著に減少したこと、(b)ヨーロッパ製綿布の流通が増加した結果、沿線各地で木綿栽培と織物業の衰退が見られること、(c)しかし、逆に蒸気軌道が販路を拡大した結果、プカロンガン理事州では地場産業であるバティック染めや帯製造業が大きく発展したこと、などが挙げられる。8,蒸気軌道の開通は在来輸送手段にも大きな影響を与え、陸上輸送では蒸気軌道線に平行する長距離輸送、特に荷車輸送が衰退した。しかし、蒸気軌道駅と地域を結ぶ補助的輸送手段として、新たな発展が見られた。プラウの場合も、蒸気軌道路線を越えた地方との間の輸送へと転換することによる新たな発展も見られる。
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