本研究では、植民地期後期ジャワの商業流通の分析を課題とした。オランダ植民地政庁にはジャワ内の物流に関する体系的な政策は皆無に近かった。物流は基本的に近隣地域間で展開され、その連鎖によりジャワ全体の流通システムが成り立っていたが、稲米、煙草、家畜、バティック製品など、主として華人商人の手で広域に流通する産物もあり、北海岸では外領とも密接な商業関係が見られた。このうち主要食糧である稲米の流通は、生産力の高い地域から低い地域へ流れるだけではなく、農業条件には恵まれているが多数の輸出向け農企業が存在する地帯へも向かい、19世紀後半から本格化した鉄道建設により、遠距離流通とともに精米業が発展し、華人の稲米流通支配が一層進んだが、なお在来の流通も生き残ったという特徴を持っていた。鉄道開通が地域の流通に与えた影響については、ジャワ北海岸地方中部でのスマラン・チェリボン蒸気軌道線の事例から以下の点が明らかになった。軌道は在来輸送手段プラウとの激しい競争の中で地域の物流増加の原動力となり、瓦、現地市場向け砂糖、石鹸、セメント、肥料、落花生、鉄・鉄製品、塊砂糖などの輸送はプラウの優位が続いたが、全体としては軌道が輸送シェアを拡大していった。この結果、在来輸送手段は大きな影響を受け、陸上輸送では蒸気軌道線に平行する長距離輸送、特に荷車輸送が衰退したが、軌道駅と地域を結ぶ補助的輸送手段として新たな発展が見られた。プラウの場合も、軌道路線外の地方との間の輸送へと転換することで生き残りを計った。物流増加は、在来住民産業にも影響を与えた。例えば石油輸送の拡大はそれまで照明用油製造の原料に使われてきたジャラック栽培を顕著に減少させ、ヨーロッパ製綿布の流通増は軌道沿線各地で木綿栽培と織物業を衰退させた。しかし、逆に軌道開通による販路拡大は、プカロンガン理事州のバティック染めや帯製造業が大発展する原因にもなった。
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