本年度は、当該テーマに関するまとめの作業を行った。前年度までに、宰相・執政が輪番で記した公的な記録である時政記と、私的な記録でありながら官撰史料の史料源ともなった政治日記との関係を明らかにした。本年度は、王安石の『王安石日録』と周必大の『思陵録』・『奉詔録』という北宋、南宋を代表する政治日記を比較検討し、日記から伺える政治構造の差異について考察を行った。その結果、『王安石日録』は、『煕寧奏対』という別名が示す通り、官僚が皇帝と直接対面し、意見交換を行う「対」を記すことを目的として書かれたもりであり、ここには<宰相>王安石と<皇帝>神宗との頻繁な意見交流、或いは王安石の神宗に対する指導的発言、新法に対する王安石の具体的な考え、歴代・当代の人物に対する評価など、他の史料には見えにくい生々しい政治の実態を垣間見ることができた。 一方、『思陵録』は宰相周必大が南宋第2代孝宗朝の政治について記したものであり、基本的に皇帝と官僚との「対」を中心に記す政治日記としての性格は前者と同じであるものの、その分量は少なく、南宋期の皇帝と官僚間の直接交流の減少をうかがわせるものであった。南宋の場合、この「対」の部分を補う仕組みが御筆を介したやりとりとなり、その記録は『奉詔録』という形で残されている。御筆は北宋第8代徽宗朝において宰相蔡京が始めたものであり、行政府の中枢機関である三省六部を経過することなく、皇帝が直接官府あるいは官僚に文書を送るというものであった。『奉詔録』はそのいわば御筆システムというべき北宋末からの政治手法を体現するものであり、ここには宦官を介しながら皇帝、官僚問を文書が行き来し、政策が決定されていく様子が看取される。このように、南宋には「対」と「御筆」システムが政治の2つの柱として機能していたことがうかがえる。 以上の成果については、8月に中国蘭州で開催された国際宋史検討会で報告したほか、12月に九州大学史学会にて報告を行った。これらの成果は最終的に科研費報告書の中にまとめる予定である。
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