栄代の政治日記と時政記とを手掛かりに、3年にわたり宋代の政治構造について分析を進めてきた。その成果をまとめれば以下の通りである。(1)宋代の官撰史料は、起居注・時政記をもとに日暦が編纂され、旧暦をもとに実録が編纂され、実録をもとに国史が編纂される編纂過程となっている。これらの内、宰執が皇帝との政治会話を輪番で記録した時政記が最も重要な位置を占めた。(2)宰執は時政記と共に私的な日記を同時に付けていた。この日記は皇帝との政治的会話を主として記録する目的として作成され、多くの日記は官撰史料作成のため、政府に提出された。(3)時政記、日記に限らず、皇帝との会話を記録することが重要視され、政府に史料が集められた。これは、宋代に、官僚が直接皇帝に対面し意見を申し上げる、所謂「対」システムが広範に発達した結果である。(4)北宋の王安石『王安石日録』と南宋の周必大『思陵録』を比較すると、両者には基本的に宰執が皇帝との会話を主として記録した日記としての同じ性格を見いだすことができる。宰執から見た日記という限定性はあるものの、皇帝、宰執、侍従、台諫、宦官といった様々な官僚層がどのように宋代の政策決定に関わっていたかを如実に描き出している。(5)しかし、その一方、周必大は同時期に『奉詔録』を執筆している。『奉詔録』とは、皇帝から官僚へ直接送られる「御筆」とそれに対する返答を日記スタイルでまとめたものである。この「御筆」の発展が北宋末からであった事実と併せ鑑みると、皇帝との会話とともに「御筆」を残すことも重要視されるようになったことを示している。日記の記述スタイルの変化は、そのまま当時の政治構造の変化と見事に呼応している。
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