近代中国、とりわけ中華民国期(1912〜1949年)における中央・地方関係を、国家統合との関連から系統的に明らかにするという研究目的に即して、本年度は以下の成果を得ることができた。 中央政府の統合政策と各省政府・地方勢力との関係について、1910年代の袁世凱政権期の江蘇省を対象としつつ釐金政策を分析した。その結果、江蘇省江南地方は、中国のなかでも、商人が釐金の徴収を請け負う認捐制度が最も発達した地域の一つであり、とりわけ上海における認捐制度の普及には眼を見張るものがあったこと、上海の同業団体は認捐を利用することによって、釐金がもたらす諸々の弊害・負担を回避ないし軽減していたこと、そして江蘇省政府は当初この状況を容認していたが、次第に認捐に対する監督強化を打ち出しはじめ、さらに近代的税制の確立をめざす袁世凱政権が、放縦な認捐制度こそ国家収入となる釐金の減収を招いていると考え、その抑制・廃止を射程に入れた釐金改革を相次いで断行したこと、等を明らかにした。 次いで、こうした袁世凱政権の施策にもかかわらず、上海の認捐制度はついに廃止されることなく同政権の崩壊以降も存続していったこと、一連の釐金改革の過程で認捐の散収化は租界の存在という上海の特殊条件や、徴税コストの損耗など機構上の問題を前にして行き詰まり、結局、中央政府と江蘇省政府は認捐を容認して税収を確保する方向を選択していかざるを得なかったこと、が明らかとなった。
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