本研究計画の目的は、中華民国期における中央・地方関係を系統的に分析することであった。この目的にそって、以下の成果を得ることができた。 成立当初の中華民国において、袁世凱政権は、まず各省政府と協調して国家統合と地方制度の改革を推進しようとしたが、十分な成果を得ることができなかった。結局、袁世凱は軍事力によって国家統合を進めざるを得なかった。その反面、彼は各省政府の「忠誠」を維持するため、地方制度改革ではむしろ省政府の権力を強化してしまった。 また、袁世凱政権は各省政府の割拠的な権力基盤を掘り崩すため、地方財政機構の改革と県知事任用制度の改革を断行した。しかし、「第二革命」後になると地方財政機構の改革は、省政府の財政権を強化する方向に変更されてしまった。「第二革命」後に施行された県知事任用制度も、次第に形骸化して各省政府の行政・人事権を統制できなかった。これらの改革が失敗したのは、やはり袁世凱が各省政府の「忠誠」を維持するため、各省政府に妥協・譲歩をしたためだった。 袁世凱政権以降、言論界では、中央・地方関係を再編する方策が様々な形で模索された。施存統もまた、この課題の解決に苦悩した知識人の一人であった。浙江省の一地方に育ち、杭州・北京・上海、そして東京という日中両国の大都市で中国の変革を模索した彼は、科学的社会主義に接近していった。とりわけ、東京における留学体験は、彼の思想的営為に大きな影響を与えた。
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