本研究において以下の3点が明らかになった。 1.唐宋変革期の婚姻は、かなりルースな関係から徐々に強固なものに変化していったと見られる。ただし、妻方の一族(妻族、妻党など)の影響力は大きく、完全な形での婚姻関係、すなわち父系家族制度はできあがらなかった。一方、婚姻関係が強固になるとともに家族結合は強くなっていった。旧来の族的結合から小家族が分離し、社会の基礎単位としての地位が確立したと言える。 2.「妬婦」問題は南北朝時代に注目されていた社会問題であるが、その本質は男系あるいは父系相続制度の危機意識の表明であった。当時中国の北半分を支配していたのは北方遊牧民族で、その家族関係は女性の立場の強いものであった。北朝の支配が確立すると、その影響が漢民族の中にも浸透しはじめ、彼らの危機意識を呼び覚ましたのである。「妬婦」問題は、のちに唐代・宋代を通じて克服され、父系制度がより強固なものにされて行く。しかし、女性の立場の強さは以後の中国の家族制度の中にはっきりと刻印されたのである。 3.唐宋変革期の家族規模は4-6人で、他の時代の人口統計とほぼ同じである。しかし、上流階層の家族員数は減少していた。それまで包含されていた非直系家族がほぼ排除され、直系家族が主体となったためである。一方、子供の男女比はきわめてアンバランスなものであった。これは何らかの形で産児制限がおこなわれ、とくに女児が多く殺された結果である。ここにも父系制家族の現実があった。
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