本課題の成果報告書は次の3章より構成されている。即ち、第1章、戦前のタイ国における日本論 第2章、矢田部保吉公使のタイ研究および留学生事業-今日への遺産 第3章、1943年後半の日タイ関係と大東亜会議 以下各章毎に、その概要を記す。 第1章はタイ側から見た日タイ関係論であり、タイ近代政治史上の重要な転換期において、タイ政治指導者によって日本がいかに比較され、議論されたかをタイ政治史の文脈のなかで明らかにしようと試みた。日本とタイとの間に政治経済文化面で密接な交流が行われ、「日本化」とも称された現象が現れたのは、1930年代になってからであるが、本章はそれ以前の時期においてもタイに対して日本が与えた精神的影響力は大きなものがあったこと実証した。1932年の立憲革命ののちタイ側に強い日本ブームが生じ、タイ人の日本訪問が増大した。第1章末尾に付した日本に関する単行本リストから、1930年代になって出版点数が急増したことが判るが、これはこの時期に生じた日本ブームの大きさを示している。 第2章は、矢田部保吉駐タイ公使(1928〜1936の7年半在勤)時代の日タイ関係の深まりを、日本人のタイ研究およびタイからの留学生受け入れ体制の整備の二つの面から明らかにした。第2章末尾には、矢田部保吉著作リストを付した。 第3章は、太平洋戦争時の日タイ関係の転換点である1943年後半の時期に焦点を当てている。本章は次の点を実証した。即ち、日本の対共栄圏政策の転換により、43年7月に東條首相が訪タイし、タイの領土獲得を承認したが、その効果は短期間のうちに消滅したこと、ピブーン首相と親日派のルアン・ウィチット外相との間には対日政策に関し溝が生じたこと、および43年11月の大東亜会議時にピブーン首相の答礼訪日を求める日本側に、ピブーン首相が応じなかったことでピブーン首相の日本離れは明白化し、これを契機に日タイ関係は一挙に悪化したこと、である。
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