ヘレニズム時代のロドスに由来するアンフォラが地中海の各地から出土することは周知の事実であるが、ロドスと政治的にもっとも密接な関係にあったプトレマイオス朝エジプトにおけるロドス産アンフォラの出土状況は、アレクサンドリアの場合を除いてほとんど知られていない。そのため、本年度は中エジプトのアコリス遺跡から出土している300点以上にのぼるギリシア系アンフォラのスタンプ付き把手について、現地で実測・写真撮影を行うとともに、この貴重な資料の画像を各国の研究者が共有できることを目指して、ウェブ上で公開する準備を進めた。現在までのところ、ロドス産のアンフォラは、アコリスからの資料のおよそ7割を占めていることが明らかになっており、それはアレクサンドリアから出土しているアンフォラに占めるロドス産アンフォラの比率の高さと対応するものとなっている。このことは、少なくとも文字資料による限り、プトレマイオス朝の地方行政組織のなかでは決して公的に重要な位置にはなかったと考えられる地方村落アコリスと、王国の首都アレクサンドリアとの経済的な結びつきについて、新たな光を投げかけるものである。アンフォラの編年をめぐっては、なお今後の研究にまたなくてはならない部分が少なくないが、暫定的な見通しとしては、やはりアレクサンドリアの場合と同様に(すなわち他の地中海周辺諸都市の場合とは対照的に)、ロドスが東地中海における政治的優位を失っていく紀元前2世紀後半にいたっても、依然としてエジプトとのあいだでは活発な交易が継続されていたことが示唆される状況にある。しかし、イタリア系アンフォラの伴出の歴史的意義など、残されている課題は多いが、これらは来年度以降の研究によって明らかにされるであろう。
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