アレクサンドロス大王の東征からローマによる東地中海制覇にいたる東地中海の歴史は、これまで主としてヘレニズム諸王国の興亡を軸として把握される一方、古典期以来の統治システムを維持するポリスについてはあまり注意が向けられてこなかった。これに対して、本研究では中エジプトのアコリス遺跡においてヘレニズム時代の文化層から大量のロドス産アンフォラが出土している事実に着目し、ロドスによるワイン交易の分析を通じてこの時代の東地中海世界の変遷を再構成する試みを行った。その結果、アコリスをはじめとするエジプト諸遺跡からの知見によれぼ、ロドス産アンフォラの出土例のピークは、ロドスの政治的影響力がもっとも強かった前3世紀末よりはやや時代が下った前2世紀の前半にあり、しかもそれはロドスが第三次マケドニア戦争によって自治を喪失した前2世紀後半にも急減しないことが判明した。このことは、デロス島がローマによって自由港とされた後も、依然としてロドスが東地中海のワイン交易(そしてそれと表裏一体の関係にある穀物交易)に重要な役割を果たし続けたことを示唆している。また、アコリス遺跡で認められるロドス産アンフォラの編年的な出土パタンがアレクサンドリアのそれとほぼ一致することは、プトレマイオス朝のもとにおける首都アレクサンドリアと領域部コーラとの関係が、前3世紀末から前2世紀にかけて、きわめて緊密であったことを意味している。それは、おそらくアコリス遺跡から出土しているロドス産アンフォラが、同地から産出しナイル川を通じてアレクサンドリアへ搬出された石材の見返りであったためであり、出土アンフォラの分析からヘレニズム時代のエジプトの都市=農村関係に新たな光をあてたことの意義も大きい。
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