両世界大戦間期に、植民地主義勢力が長編劇映画や小説などを媒介にしておこなった帝プロパガンダは、(1)教育・医療・経済開発など「文明化」の恩恵がフランスによって原住民に施されること、(2)この恩恵にもかかわらず植民地支配に抵抗する者は「サロパール(下司野郎)」にすぎないこと、(3)抵抗者は一部であり大多数の原住民は恩恵に感謝していること、さらに、(4)入植者としてあるいは軍人として植民地で働くことは自身の救済にもなることを、スクリーンや紙面を通して民衆に印象づけようとするものだった。 一方、民衆意識としても、(1)原住民への劣等視はもちろんのこと、(2)「文明化の使命」観をかいま見ることができる。また、「文明化の使命」観の他方で、(3)「文明化」に限界線を引く同化不可能論に民衆は深くからみとられてもいた。したがって、帝国プロパガンダの諸様相と民衆意識とは重なる部分が多かった、といってよいだろう。しかし、帝国プロパガンダで讃美された入植者社会は、民衆の耳目を引きつけるものにはならなかった。そもそも両世界大戦間期、民衆レベルの植民地関心はけっして高いものではなかった。 とはいえ、植民地関心の低さや入植志向の弱さは、フランス民衆が帝国意識から解放されていたことを意味するわけではもちろんない。原住民への劣等視・「文明化の使命」観・同化不可能(ないし同化拒否)論は、民衆の心を深くとらえていたのである。そしてこのような両世界大戦間期民衆意識のありようが、第二次世界大戦後になって、植民地独立の世界的趨勢に逆らい、第一次インドシナ戦争およびアルジェリア戦争への国民動員を容易にしたのだろう。普段は植民地に関心がなくても、ひとたび植民地戦争となるや、植民地原住民を、「文明化」の恩恵に感謝しない「サロパール」と感じ、また「同化不可能」な人びと感じる、そんな民衆意識が植民地戦争を草の根で支えたのである。
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