十九世紀以降、イスラーム世界に進出したフランス植民地主義勢力による帝国プロパガンダは、(1)教育・経済開発など「文明化」の恩恵がフランスによってムスリムに施されること、(2)この恩恵にもかかわらず植民地支配に抵抗する者は一部であり大多数のムスリムは恩恵に感謝していること、さらに、(3)入植者としてあるいは軍人として植民地で働くことは自身の救済にもなることを、フランス国民に印象づけようとするものだった。 しかし、帝国プロパガンダで讃美された入植者社会は、国民の耳目を引きつけるものにはならなかった。そもそも両世界大戦間期、民衆レベルの植民地関心はけっして高いものではなかった。とはいえ、ムスリムへの劣等視・「文明化の使命」観・同化不可能(ないし同化拒否)論は、民衆の心を深くとらえていた。そしてこのような両世界大戦間期民衆意識のありようが、アルジェリア戦争への国民動員を容易にしたのだった。 とりわけエジプト遠征(1798〜1801年)に関する記憶は、「オリエント」という言葉で十九世紀以降のフランス人がたいてい想起する地、つまりイスラーム世界一般に関する記憶と通底することによって、近現代フランス国民のオリエント・イスラーム観に大きな影響を与えるものだった。さらに、十九世紀以降のフランス植民地主義の枢要な展開地がアルジェリアなどの北アフリカ・イスラーム世界であったために、エジプト遠征の記憶は、フランス人のあいだで帝国意識が形成される過程に深く影響をおよぼすことにもなった。また、1960年代以降のポスト・コロニアルなフランス社会において、エジプト遠征に関する記憶は、旧植民地出身移民社会の過半を占めるムスリム系住民に対して現代フランス社会が懐く心性と、奥深いところでかかわりつづけてきた。
|