本研究の目的は、一貫して、南北戦争前に生じたいわゆる「自由労働イデオロギー」が、19世紀末の、農民を中心とし、労働者を巻き込んだポピュリスト運動の基調の一つを形成していたことを実証することにある。その際の着眼点は、自由労働イデオロギーが土地所有に基づく経済的・政治的独立を求める思潮であったことから、土地問題に関わる思想や運動が、南北戦争前から南北戦争後にかけてどのように継受されていったのかの解明にあった。 本研究代表者(横山良)は、この視角からの研究を深めるための方法論を模索し、その成果を「ロバートH・ウィービーの『転回』-追悼に代えて-」と「ウィービー史学における民主主義論の展開」の二つの論文において公表した。また、一方では、共著『アメリカ史を知るための60章』においては、第33章「工業の発展と巨大企業の出現-「世界の工場」の座へ」、第34章「労働運動・農民運動-自由労働イデオロギーの終焉」において当該時代についての概観的見通しを与えた。 そのうえで研究代表者は三度にわたりアメリカでの史料調査を行い、労働騎士団、AFLなどの労働運動とグレンジ、農民同盟など農民運動のそれぞれの側での土地問題への取り組みを示す史料を入手した。それを分析した結果を公表したものが、「ポピュリズムと土地問題-アメリカ・ポピュリズムの歴史的源泉-その(1)-」である。 そこで明らかにされた結論は、南北戦争後において土地問題(土地獲得の要求)に最も熱心に取り組んだのは、グレンジなどの農民運動組織ではなく、労働騎士団に代表される労働運動の側であり、その要求が農民同盟を通じてポピュリスト基本綱領ともいうべき「オマハ綱領」(1892年)に持ち込まれたとするものであった。この結論は、「オマハ綱領」の土地項目が農民側から出た要求であるとする通説を覆し、アメリカ19世紀民衆運動の持つ、労働者、農民をはじめとして、諸社会階層を混然と巻き込んだ階級横断的運動としての特質を確認するものであった。その意味で、ポピュリズムは、19世紀自由労働イデオロギーの最後の大規模な燃焼であったと言いうる。
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