本研究は、ナチス時代(1933-45年)に、女性の大学教育と大学卒専門職活動がどのように展開されていたかを社会史的に考察することを目的としていたが、研究代表者の時間的制約と史資料的制約のために、研究の対象を主として、量的にも質的にも最も顕著な「活動」を展開した女子医学生、女性医師に集中した。 その結果以下のことがわかった。 (1)ナチス政権成立前のヴァイマル末期に、女子学生のなかで医学専攻は3割弱に達し、最も人気のある分野となり、ユダヤ教徒女子学生にその傾向が強かった。(2)ナチス政権は、ユダヤ教徒と女子の大学入学を抑制したので、ユダヤ教徒学生は男女ともに皆無に近づくが、女子学生は、第二次世界大戦開始とともに増加に転じ、全女子学生のなかで医学専攻は5割を占めた。(3)ヴァイマル時代に、自発的に作られた「女性医師同盟」は、ナチス政権発足後、ナチスにとっての政治的「敵」と非アーリア系を組織から強制排除して、存続を図るが、36年12月に「自発的」に解散し、ライヒ医師指導部の傘下に入る。(4)反ナチス的・非アーリア系のものの排除には抵抗しなかった「女性医師同盟」も、既婚女性医師からの健康保険医資格剥奪に強く抵抗した。しかし、35年末にそれは強行された。(5)開戦後、女性医師は増加に転じたが、開業医としての道には制約があり、ナチス政府・党の諸機関・団体の勤務医として働き、ナチス体制を支えた。 以上のことから、ナチス政権は、反ナチス・非アーリア系の排除については、徹底していたが、女性医師の例に見られるように、女性の排除には限定的であった。そのような状況下で、女性医師は、責任ある地位を奪われつつも、ナチスのドイツ民族共同体のなかで、応分の役割を果たし、女性団体のなかでは、エリートとしての役割を果たした。
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