本研究は、1917年の十月革命後に亡命した知識人のソヴィエト・ロシアに対する政治的態度の転換過程を跡づけ、彼らによるソヴィエト権力承認がソ連にもたらした影響とその歴史的意義を、同時代の文献資料に基づいて実証的に明らかにすることを目的とした。この課題を遂行する上で、本研究においては、こうした思想潮流の中でも一定の影響力を及ぼした「道標転換派」を分析対象に設定し、(1)「道標転換派」の活動の実態、(2)「道標転換派」とソヴィエト権力との相互関係、(3)ソヴィエト国内での知識人の反応とソヴィエト権力の対応、に焦点を絞って検討した。その際、「道標転換派」側については、その代表的論客であったN・ウストリャーロフを中心に分析した。 ウストリャーロフは、ロシア革命が「テルミドールの道」を通って「進化」し、それによって革命が「自らの行き過ぎを免れる」と主張して、ロシア革命に反対する人々に対してソヴィエト権力との協力を呼びかけた。このユニークな考え方は、亡命者の間で少なからぬ支持を獲得し、このグループは「道標転換派」と呼ばれた。またこの思想は、ソヴィエト権力の下で働く人々にとって、自らの行動を正当化するための論理を提供した。他方、ソヴィエト権力にとって「道標転喚派」の出現は、ボリシェヴィキに対する亡命者の統一戦線が崩壊したことを意味した。その上、現実的な展望を持つソヴィエトの指導者たちは、この運動がロシア国内の知識人・専門家を国家建設のために統合する理念として利用することができた。こうして道標転換派の思想は「専門家のイデオロギー」として機能した。
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