本研究では1754年にロンドンで設立された工芸振興協会を対象として、この団体の染色業振興策と、その活動の中核に位置した2つの項目について活動結果を明らかにした。染色業に注目したのは、これまでの産業革命研究やイギリス史研究では、綿工業の発展を主眼としてきたにもかかわらず、その仕上げ部門である染色業に十分な関心を払ってこなかったからである。工芸振興協会は最盛期には2000名以上の会員を擁したことに表れているように当時のイギリスでは最大級の団体であり、農業改良家のA.ヤング、画家のホガース、文人のジョンソンなどが活動したことでも知られ、一言でいえば大きな社会的影響力をもつ団体であった。この団体は、設立当初から染色業の振興に関わる活動に力を注いできたが、その振興策は、染色法の改良にとどまらず、各種の染色原料の調達、染色にかかわる工芸職人の人材育成までも含み、染色業全体に及ぶものであった。この振興策の背後にあるのは、美術・工芸家たちのイギリス産業に対する強い危機感であった。 協会が染色業振興策の一環として多額の資金を投入して行った「アカネ栽培」の普及、および工芸職人の人材育成をめざした「少年・少女の図画」コンクールはいずれも、協会の目論見とは異なる結果を招いたが、前者からは農業改良に、後者からはイギリス美術界に寄与する人々を生み出した点が注目される。 本研究の結果、工芸と産業振興との強い結びつきが明らかになった。
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