研究概要 |
基本的に、シドニウス・アポリナーリスの『書簡集』の読み直しを中心に研究を進めたが、合わせて、従来から参加している共同研究である『テオドシウス法典』邦訳・訳註作成の作業を通じて,帝政後期のリテラシーの問題を再考した。その結果、帝政後期におけるリテラシーの衰退を主張したハリスの説に対し、法典史料からはむしろ書面主義の浸透が確認できリテラシーが急速に衰退したとは思えないこと、4世紀ガリアの事例からは高度な書き能力の取得が社会的モビリティにつながり、ガリア・セナトール貴族層の形成に寄与したことを明らかにした。他方、古代末期独特の「古典的教養」教育のあり方は、「正しい書き言葉」を共有することで知的エリート層の間に出自やエスニシティを越えた連帯意識を生んでいたことを、シドニウスの書簡の分析を通じて確認し、旧稿で安易に想定したシドニウスの「反ゲルマン主義」が決してエスニシティとしての「ローマ」対「ゲルマン」ではないことを確認した。 そのようなシドニウス再考の契機となったのは、シドニウスのクレルモン司教叙任に関するジル・ハリーズの斬新な仮説であり、その検討を通じて、シドニウスにとっての「ゲルマニスムス」とは何であったのかという問題を考えるに至った。その際、475年、イタリアの安全のためにプロヴァンスと引き換えにオーヴェルニュ地方を西ゴートに割譲することを決めた、西ローマ政府・西ゴート間の講和条約締結に対するシドニウスの態度が手がかりになると考え、この講和前後の2書簡を含むシドニウスの『書簡集』第7巻の構成(書簡の配列)、講和締結に関わったリエ司教ファウストゥスを含む4司教とシドニウスとの間でやり取りされた書簡内容についての考察を進めた。しかし、アリウス派問題の検討がまだ不十分であり、この問題についての考察を深めた上で成果を公にしたい。
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