従来の古代ギリシア史研究においてそのコミュニテイの基本単位をポリスと捉えるのが一般的な傾向である。そしてそのポリスこそがギリシア人の形成するコミュニティに完成型的な認識をしてきた。そこで一度ポリスを形成してしまえば、その内部の状況に対する関心が向けられることは稀で、その中央からの統合度が疑われることもなかった。このようなギリシア人のコミュニティのあり方は古典期のアテナイをモデルにしてイメージされたものであることは明白であるが、近年の研究成果は上記のようにアテナイをモデルに認識することに懐疑的であり、アテナイ中心主義という呼び名で批判されることが多い。 本研究はそのような動向を摂取して、異なる視点からギリシア人のコミュニティを分析したものである。そのために史料が豊富なアテナイではなくアルカディア地方のポリスに着目した。特に前4世紀後半に実施されたメガロポリスの集住を中心に、その集住に参加したコミュニティの動向から分析した。その結果、この当時のギリシア人が自らの来歴と見なしたやり方で行ったこの集住はうまくいかず統合度は低いものであったことを明らかにした。そこから多くのギリシア人が自分の帰属意識をどのレヴェルのコミュニティ(村落、ポリス、連邦)に有するのかという問題を取り上げ、他のアルカディアの事例からも、あまり重層的な構造で各種のコミュニティを捉えない方が実態を理解するためには必要ではないかという結論に達した。この結論をさらに説得力を有するものにするため、現在本研究の継続という形で新たに他地域の状況との比較を補助金を交付され行っている。 そして上記のような一般的な認識がなぜ形成されたのかということを考察すると、それはギリシア人自身もローマ帝国下の状況のなかで、自らのアイデンティティや来歴をローマ的なスタンダードに合わせて、中央権力が重層的にコミュニティを統合するローマ的なモデルに基づいて考えるようになったことに起因すると考えられるため、ローマ帝政期のギリシア人のアイデンティティの分析も併せて行った。
|