1.近代ヨーロッパにおけるピースメイキングの歴史の中で、戦後和解と赦しという課題を論じる意義について考察した。 (1)十七・八世紀ヨーロッパの戦争では、講和は戦争中の行為の一切を忘却し赦すこと(total amnesty)を意味した。フランス革命からナポレオン戦争期を経て西欧社会の民主化と世俗化が進むと、講和=赦し/忘却の式は成り立たなくなり、集団的赦しは政治的課題から除外されるようになる。この傾向は第一次世界大戦期にさらに顕著となり、戦後和解に到る一道程として、戦争犯罪裁判による正義の実現が模索されるようになる。 (2)ヨーロッパ十九世紀は戦争の人道化が模索された時代であった。十九世紀半ば以降、戦時医学・看護学の発達、補給網の整備と用兵術の変化、中産階級の台頭による慈善の変化、ヨーロッパ協調の展開による国際社会の成熟によって、赤十字運動のような、大衆の年醵金に依る国際人道主義運動が立ち上げられていくようになる。戦場人道主義は、第一次大戦を契機に、愛国主義と抱擁する。戦場人道主義と愛国主義の抱擁は戦死者崇拝の誕生の一下地となった。 2.第二次世界大戦後の対独・対日戦争犯罪裁判支持者によって期待されたもののひとつには旧敵との和解の促進があった。裁きがどれほどの憎悪を癒し、和解に至る道を拓き得たのかについては検討を重ねる必要がある。 3.戦後トラウマに苦しむ個々が形成する集団や地域の民主化は難航し、トラウマが深刻であればあるほど独裁化しやすい。集団化したトラウマは、集団として癒されない限り、集団を形成する個々が癒されることをしばしば認めない。犠牲者の死や記憶の忘却は和解を容易にするが、トラウマ化した集団が地域や国家にまで肥大化したようなケースにおいては、自らの犠牲と加害者への憎悪はナショナル・アイデンティティーともなる。
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