1.戦後和解・赦しと記念、ナショナリズムの関係について考察した。近代西欧社会においては、十九世紀から二〇世紀にかけての民主化と世俗化の進行によって、戦後和解・赦しと、忘却の政治的関係は大きく変化した。通信技術の革新と大衆ジャーナリズムの発達により、戦場の人道化が国民の士気を安定させるためにいよいよ重要な課題となった。戦争による損失の増悪と社会の軍事民主化の進行によって、一方で自国による自国軍傷病兵や生者に準じる権利を有する身体としての戦死体の取扱に対する、一方で敵国による捕虜虐待などの残虐行為に対する、国民の批判や関心がいよいよ高まり、戦時中あるいは戦争に関連して行なわれた残虐行為が休戦講和をめぐるネックとなった。旧敵国間の戦死者の合同追悼・記念がしばしば戦後和解と赦しのしるしとしてみなされるようになった。研究代表者は、英国を中心に戦死体と埋葬と戦死者の記念にかかわる問題についての調査及び資料の収集、及び日本との比較研究を行なった。ヨーロッパの戦争記念物には、その戦死者が正義と自由のための戦争において崇高な死を遂げたという前提が古代より現代にいたるまで一貫して観察され、二〇世紀には、犠牲の崇高性の強調と記念の対象と方法のいわば民主化・<非宗教>化・普遍化が、新たな特徴として加味された。戦争記念物は過去と未来の結び目のようなもので、追悼者はそこで過去と未来の関係を確認し監視する役割を果たす。戦争記念物には、それを建造した共同体のきわめて強い喪失感、戦死者の帰還という感覚、(戦)死の確認と再生への願望が観察される。 2.第二次世界大戦後の日本の国際経済体制への編入と、日欧間の<過去の重み>について考察した。とくに二十世紀後半の日英経済関係に、一九三〇年代の経済摩擦、戦時中の日本軍による捕虜虐待がどのような影を落としたか、調査及び資料の収集を日英において行なった。
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