研究概要 |
Peaceが<神の平和>であった時代と社会においては、国家が戦争中になした残虐行為は講和とともに赦免の対象となった。赦す(forgive)ことは忘れる(forget)ことと等価であった(参照Philip Towle, Democracy and Peacemaking, Routledge,2000)。講和が戦争の惨害を直接被った者の意思や感情を斟酌せずに策定されえた時代においては、いったん講和が成れば、個人の苦痛や個人の集積としての共同体の苦痛をいかに癒すかなどということは政府や特権階級の懸案になることはなかった。20世紀には社会の民主化、戦争の惨害を直接被る者たちの地位の向上、マスメディアの発達、人権思想の浸透によって、人々は戦争と戦争犯罪を記憶することで次の戦争を回避しうると考えるようになった。20世紀においてはとくに戦争捕虜への虐待が講和のネックのひとつとなった。講和=忘却の等式は破綻し、戦争中の残虐行為が忘却されることはなくなった。戦後和解はそのよう歴史現象のなかで浮上してきた政治的課題である。事実の究明と正義の実現は真の平和の実現に不可欠な前提である。最も困難な部分は、集団のレベル、ナショナリズムのコンテクストのなかで語られながら、根源的に個人の感覚である<痛み>に対峙していかなければならないという点にある。平和と忘却の等式が破綻した社会において、「赦す、しかし忘れない」という人間にとって至難な行為を容易たらしめる有効で新たなファクターは20世紀末の段階までに存在していないようにもみえる。Andrew Rigbyの定義によれば、戦争における痛みによってわかたれている人々やその集団が未来の共生のために再会を決意することが和解という行為の重要な一部である。概して、未来の共生のビジョンが明確に示されれば示されるほど和解のための覚悟を固め易くなり、またその逆も真であるようにみえる。
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