本研究は、日独の近代化過程における労働と労働者の差異化のプロセス、つまりジェンダー化について比較史的に考察したものである。 労働については、家内工業期から工場制へと移行する時期の織物業を取りあげた。ドイツの製織業は男性が多く、日本は圧倒的多数が女性である。担い手のジェンダーが異なると、労働の組織形態や労働に付与される意味合いも異なってくる。ドイツでは男性が製織で女性は補助労働というジェンダー・ヒエラルヒーが存在した。また実際には問屋から工賃をもらって製織する労働者であったにもかかわらず、徒弟、職人、親方という手工業的な体裁を取り、彼らは手工業的な自意識をもっていた。女性はこうした手工業的階梯からは排除されていたが、19世紀後半になると、織布工の寡婦や娘を中心に女性親方が増え、また力織機の導入とともに織物業の女性化がはじまる。これに対して男性は激しく抵抗したが、その形態もイヌング運動など手工業的性格を帯びていた。 日本の家内工業は農家副業として営まれ、担い手の女性たちは自分の技能には誇りをもっていたが、職人としての意識はもたず、また職人とも認定されていなかった。彼女たちは家のために織り、機織り文化は「嫁の文化」と深く結びついていた。 ドイツにおける社会保険の導入は、家族の扶養者である男性が標準的な労働者で、女性は特殊で家計補助という近代的な労働者モデルを定着させるにあたって重要な役割をはたした。すなわち保険はフルタイムで長期間働く男性をモデルにし、女性は結婚によって退職する者として特別な扱いを受けた。日本については、1930年代の修身雇用の導入とともに、従来の男女を別個にとらえる伝統的な労使関係にかわって、男性を標準とする労働者像があらたに登場した。
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