発掘調査に携わり一次資料を検討することのできたテル・アイン・エル・ケルク遺跡(シリア)の埋葬事例について埋葬姿勢・頭位方向・副葬品の有無・埋葬の空間的分布などに注目しながら分析をおこなった。被葬者の年齢・性別を検討したところ、圧倒的多数が6歳までの乳児や幼児であることが確認され、成人の埋葬例はごく例外的なものであることが明らかになった。こうした年齢構成のあり方は、乳幼児の死亡率が高かったと仮定してもなお偏りのあるものであり、少なくとも先土器新石器時代B期(エル・ルージュ1期)からは集落外に別に墓域が形成されていたものと考えることができる。埋葬の様式に多様性が認められるようになるのは土器新石器時代末期のエル・ルージュ2d期で、土器や石製容器などの副葬品を伴う例もいくつかみられるようになる。こうした墓制にみられる変化はその背景にある社会構造の変化をある程度反映しているものと考えられるが、これらはあくまでも乳幼児を主体とした集落内埋葬の実態であり、成人を中心とした集落外の墓域のデータを明らかにしたうえで検討を重ねる必要がある。こうした作業と併行して、埋葬例がまとまってみられるようになるナトゥーフ期の墓制と士器新石器時代に後続するハラフ期における墓制についても検討を行った。ナトゥーフ期には成人の埋葬も集落内から数多く確認され、日常の生活の場と一線を画する墓地は、この時期にはまだ形成されていなかったと考えられる。ハラフ期にはヤリムテペI号丘において集落外に墓域が形成されていたことが明らかになっており、そこでの被葬者は成人が中心で墓の形式や埋葬姿勢・頭位方向は斉一性が高いことが確認されている。これに対して集落内で検出された埋葬は、乳児・幼児が中心で、火葬墓や頭蓋埋葬も認められるなど多様であることが明らかになった。
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