本研究は、日本の古代地方都市の形成から解体に至るプロセスを、分節化した都市的要素毎て検討し、解明しようとする試みである。本年度は特に国内では、大規模遺跡である大宰府、斎宮、多賀城のデーター収集を中心に行った。その結果、これら3遺跡の構造の変化に大きな共通点のあることが、都市構造を規制する方格地割の検討の結果判明した。政治的空間である政庁とその中心から延びる幹線道路とで都市空間を形成していた3遺跡は、8世紀終末の桓武朝になると一斉に幹線道路の周辺に方格地割を造営し始める。その設計方法については、各地方において異なるが、宮都と密接な関係のある斎宮は、長岡京の設計方法を踏襲していることが判明した。多賀城では、8世紀末から方格地割が形成されるが、その発展は歪で、しだいに都市空巻を拡大し、各空間に手工業部門や国司館空間を配置した。大宰府についても従来の指摘のように10世紀に方格地割が形成されるのではなく、8世紀段階からの可能性のでてきたことが判明した。 ところでこの様な日本の地方都市の形成が、諸外国の都市段階といかなる関係にあるかも大きな問題である。そこで、本年度は、韓国の古代王宮として著名な慶州を訪れ、国立慶州文化財研究所の行っている発掘調査現場などを視察し、その異同について研究した。その結果、慶州の立地が日本の飛鳥に所在する新城と多くの点で共通することが判明したが、地方都市についてはまだ十分な分析が行えない段階であった。ただし、王宮の北部に展開する町の都市性は、あるいは、王宮周辺部に展開する別機能の可能性もあり注目できた。
|