本研究は、日本の古代地方都市の形成から解体に至るプロセスを、分節化した都市的要素毎に検討し、解明しようとする試みである。平成12年度には、古代王権の地方支配の拠点として設置された斎宮・大宰府・多賀城の成立から展開過程を検討し、都市としての景観が8世紀末に一斉に形成されることを明らかにした。首都における都市性の充実と地方支配拠点の整備がパラレルな関係にあることも明らかにした。同時に新羅の首都慶州における宮都の成立過程を分析し、古代日本の王権中枢部の形成過程と酷似していることを明らかにした。平成13年度には、主に伊勢国における王権による地方支配の確立過程を、伊勢北部では大安寺墾田地の分析から、伊勢中部では東寺大国荘や群集墳の石室構造などから検討し、6世紀末にまで遡る可能性を指摘した。平成14年度には、隠岐、三河、伊豆、若狭など海浜部に設置された特殊な国を対象とし、海部の掌握過程を通して王権による直接的地方支配について新たな視点を提供した。両年にわたって、東アジアの帝国・漢の地方支配について現地調査を行い、王権の中心たる関中から同心円上に広がる地方支配の構造を確認し、その維持装置としての関の存在に着目した。日本の古代王権が三関を設置した背景には、こうした中国の支配モデルがあったという仮説を提示し得たのも大きな成果であった。 今後さらに海浜部以外の一般的な国における王権と地方との支配関係の確立過程を検討し、その拠点としての評衙、郡衙、国府の整備がいつどのように行われるのか、それらが地方都市へと成熟する要因は何かなどについて研究を深化させていく必要性があろう。
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