弥生時代・続縄文時代以降における、日本各地遺跡出土の漁撈具集成を行った。それらは、北海道東部地域、青森県津軽半島・下北半島、岩手県三陸海岸、宮城県仙台湾、三重県志摩半島、和歌山県紀ノ川口などの遺跡であり、時代的には中世まで下るものもある。対象とした漁撈具は、主に銛頭・釣り針類である。 今年度においては、特に弥生時代太平洋岸の漁撈具の分析を行った。その結果として、次のようなことを推定することとなった。 1.銛漁・潜水漁を行うような漁撈民が、弥生文化の東方への広がりと共に、北九州玄界灘周辺から、瀬戸内にまで入っていた可能性がある。 2.彼らが、さらに紀伊半島を迂回して、伊勢湾にまで達していた可能性がある。 3.一方、縄文系の漁撈民が、志摩半島に至る地域まで活動していたことが想定される。 4.関東を中心とした地域においては、縄文系漁撈民と弥生系漁撈民が融合していた可能性がある。 5.弥生時代において、漁撈民は農耕民と深い関係を有しており、彼らを統合するような社会集団、それは「國」と呼ぶことも可能であるが、そうしたものが関東地方においても成立していた可能性がある。 上記の点は、2001年度発表予定論文の要旨である。 またアイヌの「マレク」と呼ばれる特殊な河川漁撈用具の系統を考えるため、ハバロフスク州立博物館において資料収集を行った。
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