弥生時代・続縄文時代における漁撈具の分析を通し、各時期の漁携民の具体的生活実態を農耕民との関係で明らかにすることを目的とした。そこから次のような諸点が明らかとなった。 1)弥生文化の日本列島への波及において、漁撈民が大きな役割を果たした。一般には弥生文化は農耕文化と理解されているが、一面において漁撈民文化としての性格がある。 2)東日本太平洋岸における弥生文化の波及においても、漁撈民的農耕民がその一翼を担った。弥生文化の波及と共に「純農村」が成立したとする考え方は一面的であり、漁撈民も取り込んだ形態での農耕集落が出現した。 3)日本海側における弥生文化の波及においても、漁撈民的農耕民の役割は大きい。その潮流の一端は、北海道における続縄文文化にも影響を与えた。それは続縄文文化の漁撈具ばかりでなく、その他の資料、すなわち岩壁画・卜骨などの存在に窺える。 4)こうした弥生・続縄文時代の漁撈民の背景には、縄文時代漁撈民が単に漁民というだけではなく、交易民として活動を行つていたこと、さらにそうした漁撈民が、九州から朝鮮半島にかけても活発な活動をしていたことが背景にあったからである。
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