本研究では、正倉の規模と収納量、倉庫の規模構造と収納物との関係、正倉変遷や収納所との関係、豪族居宅の稲倉の特徴を明らかにし、穎穀収取のあり方について考察した。 正倉史料にみえる穀倉・穎倉・穎屋の平均平面積は40m^2以上の数値を示し、正倉の高床倉庫遺構でも平面積の平均値は50m^2前後を示し、史料の分析結果と符合する。一方、集落や豪族居宅の高床倉庫の平面積は25m^2以下に集中しており、正倉は総体として格段に大規模なものであったことが明確になった。また、一部の例外的な事例を除くと、穀倉は穎倉に比して総体的に平面規模や倉高が大きく、多くの場合、穀倉と穎倉とは正倉院内において構造的にも外観的にもある程度識別しうる姿を呈していたとみられる。 現状では、桁行が9m以上で平面積が50m^2を超える規模の倉には穀倉として造営されたものが多く、桁行5m未満、平面積20m^2以下の小規模な正倉の場合は穎倉であった確率が高い。この点から、平面積が25m^2以下に集中している集落遺跡や豪族居宅跡にみられる総柱高床倉庫の場合には、それらが稲倉とすれば、そのほとんどが穎稲収納用であった蓋然性が高いと言える。すなわち、稲を穎稲の形で収穫する農民にとって、それを穀稲にする稲籾化の作業は余分なことであり、稲の収納も基本的には穎稲の形態でなされていたこと、また、地方豪族にとっても、稲を穀稲にして永年保管する必要性は少なく、むしろ出挙運用に適した穎稲こそ必要な稲の形状であったことを物語っている。 このことは、正倉における穀倉の特殊な性格を浮彫りにするとともに、正倉別院を豪族の稲倉と識別する手がかりを提供することにもなろう。また、本研究では、豪族には居宅以外の農業経営体などに付随する形でも稲倉を所有していた場合があり、そこも営田や私出挙経営に重要な役割を果たしていたとみられることを推察した。
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