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2000 年度 実績報告書

形象埴輪からみた古代東国の政治史的研究

研究課題

研究課題/領域番号 12610427
研究機関横須賀市自然・人文博物館

研究代表者

稲村 繁  横須賀市自然・人文博物館, 人文博物館, 学芸員 (70250230)

キーワード形象埴輪
研究概要

関東地方での形象埴輪は、4世紀末葉頃に奈良県北部からの伝播によって出現したものと考えられる。伝播初期には群馬県を中心とする地域にほぼ限られ、このような傾向は5世紀中葉頃まで継続したようである。その後人物埴輪が伝播してくる5世紀後葉頃になると、継続的に埴輪を製作していた群馬県ばかりでなく、埼玉県特に埼玉古墳群を中心とした地域でも埴輪製作が開始される。ともに畿内からの製作技法・表現意匠の影響や伝播を受けるが、群馬県では前代からの技術体系が確立していることから、影響は比較的少ない。一方、埼玉県では畿内の技術体系をほぼそのまま受容しており、畿内との密接な関係が想定される。この背景には、畿内大和政権の対群馬政策が投影されているのかも知れない。
関東地方ではこれら2地域が埴輪の終焉まで拠点的埴輪製作工人集団を形成し、関東地方ばかりでなく、中部高地・東北南部にまで影響を与えている。群馬県の影響は西は中部高地から北は福島県にまで及ぶのに対し、埼玉県の影響は南関東から茨城県の一部にまで達している。したがって、群馬県は北部、埼玉県は南部に強い影響力を持っていたと考えられる。その一方で、6世紀中葉以降になると神奈川県・千葉県・茨城県では群馬系・埼玉系の両者が存在する。これは、南関東各地の首長が埼玉県を中心とした一元的な関係に終止符を打ち、北部の群馬県との関係も構築しようとした証とも考えられる。あるいは逆に、群馬県からのはたらきかけによるものかも知れない。また、6世紀後葉以降埼玉県の形象埴輪そのものが群馬県からの影響を受けるようになることから、埼玉県の関東地方南部への影響力が徐々に低下し、逆に群馬県の勢力が強大になっていったことを示しているものと考えられる。

  • 研究成果

    (1件)

すべて その他

すべて 文献書誌 (1件)

  • [文献書誌] 稲村繁: "家形埴輪論"埴輪研究会誌. 4号. 1-30 (2000)

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公開日: 2002-04-03   更新日: 2016-04-21  

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