平成12年度は、院政期の古記録文献のうち『兵範記』を中心に調査を行なった。更に、東京大学史料編纂所へ行き、データーベースや写真帳・影印本等の調査、資料収集を行なった。また、「明月記研究会」に参加し、『明月記』の講読や検討を通じて『明月記』研究の状況や今の刊本には紹介されていない巻を実際に見ることができた。『吾妻鏡』については、国史の分野の著作ではあるが、五味文彦著『吾妻鏡の方法-事実と神話にみる中世-』に大いなる刺激を受け、『吾妻鏡』の記録語・記録語法研究の方法論が深まった。その他、記録語・記録文の研究の概観として「記録体(記録文)の漢文」(『日本語学』明治書院、平成12年11月号)を書いた。 記録語・記録語法の具体的な新知見としては比較調査ができていないので詳しいことはいえないが、「唐代口語」では、『玉葉』と『吾妻鏡』では『吾妻鏡』の「唐代口語」の方が『玉葉』より詳しいのがわかったが、詳しい比較は今後の検討となる。 『兵範記』については、所謂漢文訓読語として「豈(あに)」「豫(あらかじめ)」「蓋(けだし)」などが見える。「須(すべからく〜べし)」の状況は、「須〜、而〜」という逆接形式や「雖須〜」の形式が見える。語頭の「縡(こと)」や語頭の接続詞「者(てへれば)〜」はまだ見えない。久安五年十一月二六日の条に次のような記述が有る。「依召早参鳥羽殿、法皇御于北殿、権辨以下執筆輩十餘人同應召参候也、権大納言行成卿記、正暦以後五十巻於御所近邊被書寫之、」。この傍線部の読みは何であろうか。「之を書寫せらる」であろうか、それとも「之を書寫せさせらる」であろうか。実際は使役しているのであるが、法皇の行為として表現しているとみるべきであろう。漢字表記であれば「被書寫」となるが、もしこれが仮名表記されれば「書寫せさせらる」とあるべき例である。
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