本年度は、宣命書き資料を整理する上で不可欠な、文字史の時代区分を中心に、とくに古代と近代との性格について研究し、その具体例として『東大寺諷誦文稿』の史的位置付けをおこなった。以下に、その成果を具体的に報告する。 古代日本語の書記活動の中で、宣命や祝詞といった、文章全体に宣命書きが採用される資料ばかりでなく、いわゆる変体漢文の文章中に部分的に宣命書きが取り入れられている資料に注目し、その宣命書きの様相を分析した。そして、ひとつの基本的な基準として、いわゆる変体漢文という基本文体に対して日本語要素が小書きで組み込まれるというのが、部分的宣命書きを規定し、現実の資料を、それからのさまざまな変異(バリアント)として位置付けることが出来ることを明らかにした。その上に立って、文字史の時代区分を、漢字専用時代の漢字仮名交じりの獲得と、文字としての仮名成立以降の漢字仮名交じりの獲得とを基準にすべきことを説いた。また、その両者の接点にあたる資料として、『東大寺諷誦文稿』を取り上げ、いわゆる変体漢文と宣命書きとの関係を整理することによって、本資料の宣命書きが、それ以前の部分的宣命書き資料と密接に関係のあることを明らかにした。つまり、従来、漢字片仮名交じりと宣命とは形式は似ているが発展段階としては無関係であるといわれてきたが、むしろ宣命や祝詞は特殊な資料なのであり、部分的宣命書き資料を視野に入れることによって、いわゆる変体漢文から漢字仮名交じりへの展開がスムーズに説明でき、『東大寺諷誦文稿』はその接点にあたる重要な資料であることが判明した。
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