本年は、昨年に引き続いて『花襷厳柳嶋』(元文4年(1739)刊)を中心に研究を進めた。この作品が元禄の赤穂浪士事件を素材にしている可能性のあることは昨年の報告に記したとおりであるが、この点について、寛延元年(1748)初演『仮名手本忠臣蔵』に先立つ浮世草子・浄瑠璃作品についての検討をすすめた。『碁盤太平記』『鬼鹿毛無佐志鐙』『忠臣金短冊』(以上浄瑠璃)『忠臣略太平記』『西海太平記』『けいせい伝受紙子』『今川一睡記』(以上浮世草子)等の諸作品であるが、本作に影響を与えた忠臣蔵ものはまだ特定するに至ってはいない。殿中刃傷の発端に横恋慕があることや、忠臣蔵の加古川本蔵同様家老が主君を救うために工作をする、といったあたりの展開は『花襷厳柳嶋』独自の趣向であり、それが『仮名手本忠臣蔵』に直接影響を与えたという可能性も当然考えられるが、この点はさらに慎重を期して調査を重ねたいと思っている。 なお、この問題から派生するかたちで、忠臣蔵世界の形成に関しても若干の調査・研究を行った。忠臣蔵については『仮名手本忠臣蔵』がひとつの目安となるが、現代の忠臣蔵はこの浄瑠璃作品を起点とはしていない。浪曲・講談等で取り上げられてきたおびただしい忠臣蔵もの(おおざっぱに本伝・銘々伝・外伝に大別できよう)がその源流と考えられるが、そのエピソードのいくつかについて、話の輪郭・バリエーションの幅等を見極めながら、淵源について探求してみた。幕末から明治にかけての大衆向け出版物にいくつか見られるようであるが、これは別にテーマを立てるべき問題かもしれない。 なお、機会を与えられたので、中国・大連市の大連図書館所蔵の日本古典籍に関する調査に参加し、時代物浮世草子作品(これは数点)や忠臣蔵関係書籍(近代のものまで含めると数十冊に及んだ)についての調査も試みた。 最後に、昨年に引き続き『勧進能舞台桜』(延享三年刊)巻二及び『龍都俵系図』(元文五年刊)巻三の注釈を公にしたことを付け加えておく。
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