和歌文学がいかに中国の詩文の表現を受容するかという問題について研究を続けている。 今年度「目に見ぬ花」という論題で発表した論文は、『古今和歌集』時代の和歌が唐詩の発想の影響を受けた例として、凡河内躬恒の「月夜にはそれとも見えず梅の花」という歌が、初唐・盛唐期に詠まれはじめ、晩唐詩には常套的なものとなった〈月の白い光の中で白い物の色が見えなくなる〉という趣向の影響を受けるものであることを論証し、また、夜の間に散ってしまう花を心に思い描く新傾向の歌が紀貫之や躬恒にあるのも、同様に唐詩に基づくことを述べた。更に、『萬葉集』の時代には、花は咲くのも散るのも目に見て楽しみ、その色を詠うのが普通であったのに対して、中国文学の影響下に、闇の中に散る花を想像して惜しむ態度が、貫之や躬恒らの和歌の世界に生まれたことを明らかにした。 また、現在準備中の論文は、『本朝麗藻』に見られる大江以言の詩の一節が『狭衣物語』に引かれることを指摘して、中古の漢文学が物語文学に大きな影響を及ぼしたことを述べる。また、落花が道を埋めるという発想が詩から和歌の世界に伝えられたことを、藤原良経の名歌「吉野山花の故郷あとたえて」の新解釈を示しつつ論証する。 数年来継続中の仕事として、『萬葉集』の歌の表現が漢詩文の影響をどのように受けるかという関心のもとに、その訓詰注釈を進めた。今年度は、その後半の巻々を訓んだ。
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