本年は、霊元院の時代に成立した注釈書を中心に研究を進めた。昨年度までに拔き出した秘伝書の中から、特に霊元院の時代に成立した古典作品・歌学書の注釈書を選んで、各地の専門図書館を訪れ、筆写あるいは紙焼き写真によって重要な注釈書を収集した。 こうした作業をしている中で、宮廷歌人の教養の深さに改めて気付かされた。現代の国文学研究においては文学作品として扱われない書物についてまで、当時の歌人は書写・収集をしている事に気付いた。これまでの古典文学研究--とりわけ雅文学研究においては、文学作品と言えば、和歌を中心とする主として藤原定家以前の作品を中心に考えられてきた。 しかしながら、霊元院歌壇の宮廷歌人は、改元の作法や禁中ならびに公家諸法度など、公家としての生活に必要な法令や有職故実についても、文学作品と同様に、あるいはそれ以上の注意を払って、家の秘伝として書写し、継承しているのである。 これらのことは、宮廷歌人の本業が公家であることを想起すれば当然のことではあるが、雅文学研究に入り込むに従い、彼らが歌人として歌学を継承することに重点をおくあまり、見逃されて来たことでもある。こうしたことを考えると、宮廷歌人が継承した歌学の中に、公家として当然継承すべき周辺の書物への目配りも欠かせないものであるかもしれない。 当初の計画から少し外れはするものの、注釈書と歌書への過度の集中は避けることにも留意しつつ、今後の研究を纏めて行きたい。
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