素謡京観世五軒家の多くは明治維新の前後に途絶えており、その一つ、岩井七郎右衛門家についても関係文書の所在は不明であったが、今年度の調査によって多くの文書が筆頭弟子家の大西家に伝えられていたことが判明し、数回に亘って書籍類、謡本、軸物等の調査を行った。この中には『あやはとり』『そなへはた』『謡音瑣言』『謳曲段々壊』『直恒聞書』『直恒覚書』等の岩井七郎右衛門直恒の自筆の著作が多く含まれており、今後、これらの資料を整理・考察することによって江戸中期における素謡京観世五軒家の活動の実態がかなり明確にできるものと思われる。関連調査として、この他、大阪一心寺、京都法然院の岩井家、大西家の墓碑銘調査、京都光徳寺、金戒光明寺の薗家の墓碑銘調査、清浄華院の藤田家墓碑銘調査などを行った。 調査の過程で、法政大学鴻山文庫所蔵の『勧進能発句合』の判者清翁が俳諧立圃門の高弟服部喜三郎定清であり、謡業に精通していたこの定清が、後に芭蕉を始め蕉門俳書を独占的に刊行する井筒屋庄兵衛の初代重勝や狂歌作者の藤本由己などと交流があったことが確認された。このことは、江戸初期の京都における謡と俳諧と狂歌をめぐる環境がかなり重なっていたことを具体的に示す貴重な事例となる。 次年度は、今年度の岩井七郎右衛門家文書の調査を続行すると共に、他の五軒家の調査を進め、これまで収集した五軒家の資料をデータ化していく作業へと移行していく予定である。
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