1 本研究は、家庭内の人間関係が中国においてはどのような文学的表象として展開してきたのか、その通時的あらましを把握することを企図した。その中でも、夫妻や母子、異性間にまたがる関係に焦点を絞って、考察を進め、近世の士大夫と現代の小説家の手になる散文作品を主な対象とした。 2 中国では、家庭は士大夫にとって本来主たる活動領域とすべき政治の世界と対峙する時に確保される生活領域とみなされ、そうした価値が陶淵明や杜甫の文学では顕彰された。以降の士大夫たちは、自らが世に出るための修養を積む場として家庭をとらえ、家庭内に生起する人間関係の表象おいては母子の結びつきが、「孝」の概念と関わりながら最も重要視された。歐陽脩の「瀧岡阡表」は、そうした近世士大夫の母親観を決定づけた作品であり、そこに表象された人間関係は、現代にいたるまで継承されている。一方、李清照「金石録後序」は、士大夫家庭における夫妻の理想的知的生活を描き出したものとして評価されるが、そこには来るべき家庭内の緊張や葛藤が潜んでいた。 3 中国二十世紀の小説家・老舎は・若年に洋行し、中国人の生活を外部から観察する視点を獲得して、文壇にデビューた。帰国後、彼が30年代に発表した短篇作品は、対自的視点を獲得した作家が同時代中国の社会や家庭をいかに表象したかを知ることができるという点で、まことに興味深いものである。初期のユーモアが、そこでは大きく変質しているのである。 4 以上のように、中国においても、古典文学の領域と現代小説の領域の双方で、家族や家族が生活を営む空間が文学創作の重要な源泉の一つであった。
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