本研究3年めにあたり、調査・検証作業を継続中である。英文学および演劇における西洋古典文学の模倣、書き換えあるいは断絶の問題を、ルネサンスから近現代演劇までへの流れを視野に入れて比較考察する作業の一環として、今年度はとくにスペンサー、マーロウ、シェイクスピアからミルトンに至る間の牧歌、小叙事詩、ソネットおよび演劇の各ジャンルに渡るいくつかのテクストに当たり、古典との断絶に際して個々の詩人が取った処理の実例を、20世紀のS・バーコフ、ベケット、ゴダールなどの例を一方で念頭に置きつつ、比較検証することを中心に進めた。ミルトンやスペンサーの詩においてはウェルギリウスやオウィディウスから受け継いだ詩的・神話的イメジャリーを模倣しながらも、その寓意的意味合いを同時代の政治的・宗教的コンテクストに合わせて置き換えるという手法が顕著であるのに比べ、マーロウでは、少なくとも表面上は、同時代の政治的・宗教的状況を無視したかのような形で古典的イメジャリーを用いる。後者では古代との断絶の自覚が、その距離を強引に縮めようとする方向で、逆に詩的想像力を刺激する契機となっている。伝統との断絶と忘却という20世紀演劇・文学の特徴的テーマの一つとの関連で最も注目すべきなのは、『奪われたルークリース』や『タイタス・アンドロニカス』から『ソネット集』に至るまでのシェイクスピア初期の作品群である。シェイクスピアでは、古典の模倣と改作を有力な方法の一つとして独自の詩と演劇の創造に取り組み始めた時点において、すでに古典受容の伝統的方法への懐疑、同時代的状況における古典的イメジャリーの異質性を作品の中心テーマの一つに据えた形跡が見られる。(上述最後の箇所の成果については、平成15年10月の第42回シェイクスピア学会セミナーで部分的に発表する予定。)初期シェイクスピアにおけるそのような試みの一つの頂点に立つのが『ソネット集』ではなかったかと推定される。
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